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第4章 「消えてゆく姿」の教え 7 不畏怖・不動心・全感謝 不動心 五井先生は、西郷隆盛が大好きで、ご著書には西郷さんの逸話を例に取り、西郷さんがどのような人であったか、前々章「いのちいきいきと生きる」で紹介しました。 五井先生は、西郷さんを「無畏怖・不動心」の人であったと絶賛されています。それは西郷さんが、天命を信じ切り、天と一つの自己の生命を感じて生活を送っていたからであると書かれています。要は「不動心」とは、「揺れ動く想いがない」、「神我一体」の心境です。そのためには、神は絶対に自分を悪いようにしないことを信じ、すべてを天に委ね切ることでしょう。 「天命を信じて、人事を尽くせ」 とは、よく五井先生がおっしゃったことです。何よりも大切なことは天を信じること、その信じる深さにより「不動心」は自ずと現れるのでしょう。また、自我がない、自分という想いがないことほど気楽なものはありません。自分があるから、人と対立したり人間関係がうまくいかなかったり、不安や恐怖を感じたりするのです。自分がなければ、その想いもでてきません。 自分という小さな殻を超え、天と一つになることです。それは、すべて「祈り」から現れます。自分という想いを「消えてゆく姿」にして、ひたすら天と一なることを祈るのです。 恐怖を超えた愛の心 五井先生のご著書、「純朴の心」に、三浦綾子さんの「塩狩峠」(新潮社刊)に出て来る一人のクリスチャンの生き方について書かれています。 暴走する電車を自らの体を投げ出し、命を引き換えに止め、多くの乗客の命を救った行為は、何とも凄まじく戦慄さえ覚えます。しかし、このような行為を、とっさの判断できるとは、よほど普段から強い信念をもって生きていた人なのでしょう。 それは愛です。愛が彼をそうさせたのです。 愛は理屈を超える 愛は想いを超える 愛は恐怖をも超える 愛はすべてをつなぎ世界を一つに結ぶ 愛はすべてのすべて 全感謝 「ぼくは毎日を神と人のために生きたいと思う。いつまでも生きたいのは無論だが、いついかなる瞬間に命を召されても、喜んで死んで行けるようになりたい。神のなさることは、常にその人の最もよいことなのですよ」 これは、自分の命に替えて電車を止めたクリスチャンが婚約者に言っていた言葉です。 一、 苦楽生死、均しく感謝。 また、これは、肌身離さず持っていた遺言状の一部です。神を信じ、すべてを神にゆだねた心境はスゴイの一言です!それは肉体の自分ではなく、霊なる神に意識を向け全託した姿でしょう。 人のために命を奉げることを厭わない。何があっても神への感謝で満たされている。その姿は時代は変わっても、永遠の真理として今も輝いています。 「犠牲の精神」とは、意識してするものではなく、愛が自然法爾に導く行為です。犠牲になった人は自分が犠牲になったとも思わない。愛こそすべてです。
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