第3章 祈 り
― 世界平和祈るは神の御心のひびきにあれば祈る楽しさ ―
2 世界人類が平和でありますように
世界平和の祈りとは?
「世界人類が平和でありますように」
皆さんは、このステッカーを街中で見かけたことはありますか?私がこのステッカーを初めて見たのは、今から四十数年前、広島市内で予備校に通っていた時、その通りのお店に貼ってありました。「世界人類が平和でありますように」と書いてあるだけで、団体名はなく、「これはいったい何だろう?」と、不思議に思ったのを今でも覚えています。
「世界人類が平和でありますように」という言葉は、「祈りによる世界平和運動」の創始者、五井昌久先生が神様から授かった祈りです。その授かった経緯については、ご著書「天と地をつなぐ者」に、五井先生が神我一体になられる前の神様との問答に述べられています。
「人間の苦しみを救うにはどうすればよいのか?」
「人間の本体を知らせ、神の理念を知らせることです」
「どうして知らせるのか?」
「・・・真理の書物をできるだけ早く、できるだけ広く、普及させることだと思います」
「書物を読んだだけでみんなが悟れるのかな?」
「書物の外に何で知らせるのか?」
「祈りです。神我一体の祈りで人類世界の業(カルマ)を浄めつくすことです」
「こんなに深い業生の波がそうたやすく浄まるかな?」
「たやすく浄まるとは思いませんが、私は祈りに勝る方法を知りません」
・・・・・「人間の本体が実際は肉体にあるのではなく、神としてこの宇宙で自由自在に働いているのだから、自己の肉体的な業の想いでお願いするような卑屈な祈りではなく、自分の本体から宣言するような心で、世界の平和を祈りなさいと教えます。」・・・・・
世界平和の祈りは、業生の肉体人間がお願いするような弱い祈りではなく、神と心を一つにして本体から宣言するような心で祈ることです。世界平和の祈りは、神我一体の祈りであり、祈りは光であり、自己や世界の業を浄める強い力があります。
「天照らす真の光地に呼ぶと我が祈り言は平和の祈り」
「世界平和祈る忽ち祈り人の姿光につつまれており」 五井昌久著作 詩集「いのり」より
世界平和の祈りは神我一体の祈り
「世界平和 祈るは神のみ心の 響きにあれば 祈るたのしさ」
私が一番好きな五井先生の歌です。
世界平和の祈りは、本体の神が祈っているのであり、決して業生の自分が祈っているのではありません。世界平和の祈りは、神のみ心であり、世界平和の祈りを祈った時は、皆、神と一つです。
人間は本来、神であるわけで祈るも祈らぬもなく神そのものであるわけですが、肉体の想念が業生で覆われ汚れていると自分が神であることを信じることができません。世界平和の祈りを祈れば、光で業生を浄め神は輝き出ます。世界平和の祈りは、自分が本来神であることを思い出す祈りであるとも言えます。
その理を知れば、祈りの楽しきことよ!私は四十数年間、寝ても覚めても楽しく飽きることなく祈り続けてきました。その一生に悔いはなし!
世界人類が平和でありますように
合掌!
世界人類が平和でありますように
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