第3章 祈 り
― 世界平和祈るは神の御心のひぎきにあれば祈る楽しさ ―
3 世界平和の祈りは、最初で最後の祈り
宗教とは?
世の中には近古東西、様々な聖者・賢者が現れ、時と場所に応じて教えを説いてきました。キリスト教、イスラム教、仏教を筆頭に、ヒンズー教、ユダヤ教、儒教・道教、神道等々・・・、その他民族固有の宗教を入れると相当な数になります。日本における新興の宗教法人だけでも二十万近くあると聞いています。
本来、宗教とは、自らの生命の元、親様である「神」に帰する行為であり、この有限な物質世界に無限なる神の生命が障りなく自由に活動できるようにすることです。病気が治った、貧乏から抜け出せた等、肉体的な救いもありますが、やはり、神を知り、その本来の力を自由自在に発揮できるようになることが一番の救いであり宗教の目的です。
その為に、多くの宗教があるわけですが、既成の宗教は形式だけで魅力がなかったり、新興の宗教でも現世利益が主で本心開発までいっていなかったりして、自分に合った本物の宗教を見つけることは至難です。
また、現代人は忙しく、時間をかけ特別な行法を行うことはできません。日常生活を普通に送りながら、誰もが簡単に行じることができる教えが必須です。
世界平和の祈りだけで救われる
人間は、神の光の一つの流れであり神そのものであるわけですから、本来は皆、救われているわけで、救われている自分を自覚することです。そのために、「肉体が自分である」という間違った想いを、「自分は神である」という想いに振り替えることです。それが「祈り」です。
お釈迦様がおっしゃられた「苦行は悟りの因にあらず」とは真実で、難しい学問も苦行もいりません。自らが神であることを思い出すことだけです。
私は、体のコンデションを整えるために、クリヤー・ハタヨガをDVDで独習していますが、これを普通の社会人が毎日行うことは困難です。座禅観法もヨガも素晴らしい教えですが、もっと誰もが簡単にできることが大切です。
五井先生が創始された祈りの道は、すべての肉体にとらわれる想いを「消えてゆく姿」と観て、神のみ心である「世界平和の祈り」に振り替え、ひたすら神に想いを向けて、神と一なることを祈ることです。ただ、これだけで他に難しい方法はありません。
「世界平和の祈りだけで救われます」
世界平和の祈りは、最初で最後の祈り
世界平和の祈りは、今だからこそ必要な祈りです。
お釈迦様やイエス・キリストの時代に「世界人類が平和でありますように」と祈ることを説いても誰も理解できなかったでしょう。法然・親鸞が説いた「南無阿弥陀仏」の称名も素晴らしい祈りですが、その時代に、世界平和を説いても、ついて来る人はこれまた皆無だったでしょう。
現代は、指導者の間違った判断によりボタン一つで一瞬にして地球が滅亡します。また人類の業生の自浄作用として天変地異で滅ぶこともあり得ます。人類はその脅威を実感し、今だからこそ、地球人類の多くが目覚め、「世界人類が平和でありますように」と心を一つに祈る時です。
五井先生は、この地球存亡の時、人類の業生を浄め、人類滅亡の危機を回避させるために、神様から「世界平和の祈り」を授かり残してゆかれました。
それは、人類にとって「最初で最後の祈り」です。
人類よ、目覚めよ! そして祈れ! 「世界人類が平和でありますように」
世界人類が平和でありますように
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