第3章 祈 り
― 世界平和祈るは神の御心のひぎきにあれば祈る楽しさ ―
4 世界平和の祈りは最高の徳を積むこと
徳のある人
どうして人間は、生まれながらに、それぞれが違うのでしょうか?
容姿端麗でお金持ちの家に生まれ物質的に何一つ不自由がない人がいれば、貧乏人の家に生まれ食うこともままならない人もいます。ある人は小さい頃から天才ヴァイオリストとして活躍している人もいれば、頑張っても一生ウダツが上がらない人もいます。世界的に見れば、生まれてすぐに餓死して亡くなる子供達もたくさんいます。
五井先生は、それは人間には「過去世」があり、そこで行った行為の結果が違いになっているのですよ、とおっしゃっていました。
人間の性格や才能は、その人の過去世での努力の結果でしょうし、地位や財力等は過去世で積んだ善行為が「徳」となり、それが現れているのでしょう。今ある環境はすべて自らの過去世で積んだ徳の結果であることは確かです。
老子は「上善は水の如し」と説いています。本当の善は、意識して善いことをしようとするのではなく、水の如きに流れるように行われるものです。それは徳を積むことも同義です。自然法爾に行った善行為が徳となることが大切です。
過去世の因縁を超え、今が未来をつくる
では、過去世で徳を積まなかった人は、どうすればよいのでしょう?
今の不幸をいくら嘆いても意味はありません。今は過去世からの結果ですから、すべて終わってしまったことで、今現れてくることに一喜一憂しないことを深く覚ることです。五井先生は、幸せになりたいのであれば今現れて来ることをすべて「消えてゆく姿」と断じ、とらわれを放つことを繰り返しお説きくださいました。
今現れてくることに嘆き悲しみ不平不満の思いを放てば、また、それが不幸の種となり自分に返って来ます。それではいつになっても幸せはやってきません。「今、過去世からの悪いものが現れて消えてゆき、これで善くなる」と感謝に替えることです。そして、未来に向けて、今を真剣に生き徳を積むことです。
一方、今幸せな人は、過去世で積んだ徳の結果であり、それは悪いことではないのですが、その徳がなくなってしまえば元の木阿弥になります。今の幸せな自分に甘んじることなく、これまた、未来に向けて、真剣に生き徳を積むことが必要です。
すべては、今です。今が未来をつくるのです!
世界平和の祈りは、最高の徳を積むこと
人間が幸せになりたいのであれば天の蔵に徳を積むことは理解できても、果たして何をすれば「徳」を積むことになるのでしょうか?
因縁因果の法則を考えれば、やったことが返って来るわけですから、自分がやってもらいたいことを他人にすることでしょう。一般的には、「自分のためだけではなく、少しでも他の人、社会のためにプラスになる働きをする」ことだと考えます。
善・悪は、絶対的な物差しではありませんから、善いと思ってやったことが見方を変えると悪行為であったりしますので、その点注意が必要です。
困った人に温かい言葉をかけてあげること、子供を立派に育て上げること・・・どんなことでもいいわけですが、誰にでもできる最高の徳の積み方は、「世界の平和を祈る」ことです。世界の平和を祈れば、それは光となり全世界を浄め世界平和の原動力になります。そのことは最高の徳として天の蔵に積まれ、ひいては自分に返って来ることになります。
五井先生は、「世界平和の祈りを祈ることは、最高の徳を積むことです」と断言されました。
世界人類が平和でありますように
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