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第5章 自然法爾・全託・無為 7 老子が説いた無為の道 無為の人「老子」 詩集「祈り」より (五井昌久著作 白光真宏会出版局) 老子 空の中から ぽっかり姿を現わし 永遠の生命をそのまま生きる 真の自由人老子 道を説きながら道を超え 光に住して光にも把われぬ 空々寂々空寂々 自由無碍にして無為 その心 時空を超越して魂をゆさぶり 宇宙の根源に人間を直結させる 今老子我が内に在り 無限のひびきをもって我に迫る 詩集「いのり」より、「老子」を紹介させていただきました。この詩は皆さんよくご存じで、五井先生のご著書「老子講義」の序文にも書かれています。よく老子の教えを「虚無思想」と誤解している人がいますが、真の老子の教えは「虚無」ではなく「自由無碍にして無為」の生き方ということになります。 無為とは 五井先生は「無為」についてのご法話の中で、無為とは、「為にしない」ということで、何をしよう、かにをしよう、と肉体の頭脳でとやかく想いめぐらさないことである。一般の人は、頭で考えないで一体何ができると考えますが、では心臓や五臓六腑が何も想わないで自然に動いているのはどうしたことですか?何故、頭だけはいちいち想って動こうとするのですか?と疑問を投げかけられ、本来は頭も心臓と同じように自然に任せればいちいち想わなくても自然に動くものだ、と回答されていました。人間は肉体ではなく生命そのものであり、肉体の小さな頭脳で想いをめぐらして生きるのでなく、生命そのものに任せ切り、生命そのままにさわりなく生きてゆくことが「無為」だということになります。 一なる存在とは 無名は天地の始めなり、有名は万物の母なり 玄の又玄は衆妙の門なり 道は冲にして之を用うれば或は盈たず 淵として万物の宗に似たり 吾誰の子たるを知らず 帝の先に象たり 老子は、「神」とか「仏」という言葉を使っていません。それは、神と言えば神という偶像や概念にとらわれるからでしょう。神と一口に言っても、宇宙人(天使)や神界・霊界で働く八百万の神々をはじめ特殊な能力をもつ神と呼ばれる存在は様々です。ですから老子は、この宇宙を生み出した一なる存在は神とは言わず、無名・玄・冲・淵・帝など様々な呼び方で表しています。 「道の道とすべきは常の道にあらず、名の名とすべきは常の名にあらず」とあるように、それは定まった名前をつけることができない妙々不可思議なる存在ということになるのでしょう。 「道は一を生ず。一は二を生ず。三は万物を生ず」絶対なる一なる宇宙神(心)を天御中主大神、二の宇宙神を高御産巣日神と称え、七神に分かれて各種の宇宙運行の働きをなし、「万物は陰を負いて陽を抱く、冲気以て和を為す」と陰陽の交流によって万物は成ることを五井先生は解されています。 神とは何ぞや!永遠なる探求のテーマです。自らは神と一なるものであると理解しながら、その存在がいかなるものかは計り知れません。リンゴのおいしさを知るにはリンゴを食べるしか方法はなく、神を知るには自らが神と一つになること以外にあり得ません。それは心を空っぽにして神の中にすっぽり入りきることです。それが老子が説いた「無為にしてなせ」ということです。 |
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