第3章 祈 り
― 世界平和祈るは神の御心のひぎきにあれば祈る楽しさ ―
6 個人・人類、同時成道
人類の平和なくして個人の幸せはなし
「自分が平和でないのに、どうして世界の平和を祈れますか?」と言う人は少なくありません。しかし、それは大きな勘違いで、自分という存在は人類の中にいるということです。世界の平和を祈るということは、自分の平和を祈ることと同義なのです。また、現在においては、個人の幸せも、人類が滅亡してしまえば無に帰するわけですから、人類の平和と個人の平和は一つであるということが言えます。
「人類の平和なくして個人の幸せはなし」、そのための「世界平和の祈り」であるのです。しかし、どうしても、世界の平和を祈れない人は、まず自分の幸せを祈って、世界平和の祈りを祈ることをお勧めします。次の祈りは虚空蔵55氏が推奨されているもので、ご紹介します。
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私に悟りの光があらわれますように
生きとし生けるものが皆幸せでありますように
個人・人類、同時成道
「世界人類が平和でありますように」と祈ることは、人類の幸せと同時に個人の幸せを祈ることであり、まさに、「個人・人類、同時成道」の道であります。
仏教は個人の本心開発を、キリスト教は社会・人類への貢献を主に教えを説いてきました。個人が幸せになればその広がりである人類も幸せなりますし、人類に平和な道が開かれれば個人も幸せになってゆきます。逆も真なりです。
その意味において五井先生の教えは、仏教とキリスト教の精神を一つにするものであり、近古東西の様々な教えや祈りすべてを一つにする道です。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされましように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
世界人類が平和でありますように
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