無為の生き方
世界人類が平和でありますように

章 「消えてゆく姿」の教え
    ―「消えてゆく姿」こそ、五井先生の教えの真骨頂―

 消えてゆく姿で世界平和の祈り

世界平和の祈りはカルマを溶かす大溶鉱炉

どんな不幸もどんなに苦しいことも、大海を漂う「泡沫」にすぎず、泡は吹けば飛んでなくなるもの、ジタバタしなければいいのです。いっさい、皆「空」、とカルマを泡の如く吹き飛ばしてしまえばいいのです。

しかし、人間は五十歩百歩、皆凡夫ですから、言葉ではそのように簡単に言えても、現実のカルマの前では、右往左往し、カルマを一吹きにすることはなかなかできるものではありません。やはり、地道に努力を重ね、神との一体化を果たしてゆくしかありません。

凡夫が悟るためには、カルマから思いを切り放す方法が必要です。それが「消えてゆく姿」です。カルマを「消えてゆく姿」と断じ、その思いを、神の大光明である世界平和の祈りの中に入れ、消していただくことです。世界平和の祈りはカルマを溶かす大溶鉱炉であり、神の前には消えないカルマは存在しません。

それが、五井先生の教え、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」ということになります。

カルマは有限ですから、「消えてゆく姿」に徹し、祈り続けてゆけば、力まずとも「空」は現れ出でます。

祈りは観の転換

「人間は肉体でなく、霊なる存在であり、神と全き一つのものである」と心から思い込んでしまえばそれでいいわけですが、そこまでゆくには相当の修練が必要です。肉体にとらわれる思いを「消えてゆく姿」にして、ひたすら神に思いを向け、うまく「観を転換」してゆくことです。

五井先生は、いつも青空のようなすっきりとした心境でありたいものだとおっしゃっていました。そのためには、祈ることが一番です。

「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱えることも、「世界人類が平和でありますように」と祈ることも、救われの原理は同じです。要は、カルマの子から神の子に観を転換させ、神のみを心に住まわせることです。

例えば、病気や貧乏で苦しんでいたら、「苦しい・大変だ」という思いを「大丈夫だ」という思いに切り替え、ひたすら、神の光明に思いを向けることです。「消えてゆく姿」という言葉をあえて使わなくても、ひたすら、神のみを思い続けることです。

「神様ありがとうございます」、「南無阿弥陀仏」、「世界人類が平和でありますように」、どんな祈り言葉でもいいのです。「観を転換」させること、それが祈りであるとも言えます。

祈り祈りて祈るなり

 神以外を心の中に住まわせないことです。そのためには、寝ても覚めても称名念仏するが如きに、ひたすら祈り続けることです。

「祈り祈りて祈るなり、祈りの泉湧き出ずるまで」 ※五井先生の高弟、斉藤秀雄 著作

何を言われても、何が起こっても、感謝で受けられるようになるまで、自分という肉体の小さな殻から抜け出し、我は神なり、我は宇宙なり、と宣言できようになるまで、ひたすら祈り続けることです。

「世界人類が平和でありますように」

世界平和の祈りは、誰がどのような心境で祈っても、「神我一体」です。世界平和の祈りは、カルマは祈ることはできません。神の本心が祈っているからです。ですから、祈り言葉だけが上滑りしているように感じることがあっても気にすることはないのです。俗に言う「空念仏」はありません。

一回一回の祈りが、神と一つになっています。肉体にまつわるカルマさえなくなれば、そのことが自覚できるようになります。「世界平和の祈りは神我一体の祈り」、そのことを深く信じて、祈り続けてゆきましょう。


 世界人類が平和でありますように 


ブログ

■世界平和の祈りをテーマにした「ブログ」です。

無為の生き方

■五井先生の教え等の解説

創作活動
■絵描として私が描いた絵画作品を紹介

プロフィール・連絡先

トップページ
              
              
Copyriht(C) 世界人類が平和でありますように All Rights Reserved 
当サイト内の文章・写真・デザインの無断転載は禁じます
管理責任者[天 空]