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5 「純朴の心」より 白光真宏会出版局 五井昌久著作 良寛さんの純朴さ 五井先生は、ご著書「純朴の心」の中で、妙好人や良寛さん、黒住宗忠神人などの純朴な生き方を、現代人は見習うべきだとおっしゃっています。 ・・・ある名月の夜のことでした。良寛さんは、興に乗って、芋畑の中をあちらこちらと名月を眺めながら歩いていました。その姿を畑の持主がみつけまして、すわ畑荒しと思いあやまり、やにわに鉄拳をふるって良寛の頭を打ってきました。そして、それだけでは気が済まずに、とうとう彼を縛って木の枝に吊るして置いて、あり合わせの棒で滅多やたらに擲りつけたのです。それでも良寛さんは少しも逆らわなかったのですが、しまいにとうとうたえられなくなって、実は自分は良寛であるとその人に申し出ました。そして自分は芋など盗む気は更になかったが月がいいのでぶらぶら歩いていたのだと告げて畑を荒らしたことを詫びました。百姓は始めてそれを知り、大いに恥じ入って深く罪を謝したのですが、良寛は少しも相手を咎めなかったばかりか、むしろ気持ちよさそうに笑って、左の如き一首の古歌を口ずさみながら飄然とそこを去ってゆきました。 打つ人も打たるる人も諸共に、如露亦加電 応作如是観・・・ ちょっとしたことでも相手を悪く思う人の多いこの世の中で、まさに生き神様です。 黒住宗忠の純真さ ・・・宗忠がかって観相家某に、試みにその人相を占わしめたことがあります。観相家はみおわって黙然たることや久しかったので、宗忠は、何故に黙せられるのかとたずねました。観相家は、やむなく、次のように答えたのです。「実は全く申し難いことですが、ご免蒙って正直に申せば、貴殿の相は阿呆の相でござる」と。これを聞いた宗忠、失望するかと思いの外、すこぶる喜悦の色を面に浮かべて、「さては、他年阿呆となる修行をしておったが、願いかなって、いよいよ阿呆になることが出来たか。いや有難いことでござる」といい、その喜び方は非常のものでありました。何故なら宗忠は、常に人に向かって、阿呆になれよ、この世のことに遅鈍なれよと、すすめて来たからだったのです。・・・ また、宗忠の教えが近郷に盛んになるにつれて、修験者の元締めが、怒鳴り込んで聞くにたえない悪口雑言をなし意気揚々と帰ってゆく姿を見て、「あの人のご分心は勇んでお帰りだ、ありがたいことではないか、奥や!」と、悔しがる奥様をたしなまれました。 五井先生は、その純真な信仰、純朴な行為を、神のみ心と一つになった素晴らしい行為であると絶賛されています。 西郷隆盛の不動心 そして、「純朴の心」の中で、西郷さんのことに触れられ、氷川清和にある話を、三つ引用されています。一つ目は、客人が刺客であるとわかっていながらボディーガードをつけるでもなく接客し、相手は西郷さんの豪傑さに圧倒されすごすごと帰っていった話。二つ目は、大雨に会って広野の真中で、西郷さんの真近に落雷し、他の者はあまりの恐ろしさに地にひれ伏したにも係らず、西郷さんは、立ったままの姿を微動だも崩さなかった話。三つ目は、江戸城引渡しの当時、どこにもここにも殺気がみなぎっている中で、西郷さんは、悠々として平生と変わらず、式が始まると居眠りを始め、式が終わって皆引き取ってしまった後、大久保一翁に起こされて寝ぼけ眼で帰って行った話。 五井先生は、西郷さんを心が微動だにもしない不動心と豪胆さを敬服驚嘆すべきものです、とおっしゃっています。豪胆さは、過去世から積み重ねられた経験や修行の結果によるが、不動心は本心と想念行為が一つになったところから生まれ、まさに神我一体の心境です。 豪胆であって謙虚であり、深い愛の持主でもあった西郷さんの再来を、この時にこそ願いたいものです。
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