無為の生き方
世界人類が平和でありますように

章 「消えてゆく姿」の教え
    ―「消えてゆく姿」こそ、五井先生の教えの真骨頂―

 常不軽菩薩 常に相手を軽んじない 

常不軽菩薩とは

五井先生は、ご著書「高級霊は上機嫌」・白光真宏会出版局、の中で、「常不軽菩薩」について書かれています。

「あなたは仏様だ、あああなたは菩薩様だって拝んで歩いたお坊さんがいたんですね。そう拝まれた人が、何!オレが菩薩であるものか、このヤロウッて石をぶつけるのです。ぶつけられると逃げながら、あなたは仏様です。あなたは菩薩様です、と真実の人間の姿を拝んだというのです。お釈迦様の前世ということになっています」

常に相手を軽んじないという意味で、その名前がついたということです。私は日常の生活の中で人に接する時に、いつも気をつけていることがあります。それは、どんな人に対しても、同じように分け隔てなく精神誠意接しているか、ということです。それは、五井先生のこの一文がいつも心の中にあるからです。地位の高い人に接する時も、例えば精神障がいがあるような人に接する時も、いつも同じように自然体で接することを心がけています。

地位の高い人に対して、やたらに媚びへつらったり、自分より立場が低いような人に、エバって高圧的になってしまったりすることは人として厭らしいことです。

我は神なり、人も神なり

「我は神なり」を目指すのなら、当然、「人も神なり」です。

人間は、神から分かれた兄弟姉妹であり、生命の深いところでは皆一つにつながっていることを意識すれば、すべてが愛おしく、私はあなたであり、あなたは私である、ということが自然に芽生えてきます。

私は人と話をする時は、相手を自分だと思うようにし、自他一体感を意識することにより、相手の嫌な言動を気にしないようにしています。しかし、どうしても、その思いにとらわれる時は、「すべては過去世で自分が行ったことが返って来ているのだ」と、消えてゆく姿にして、祈りに替えることを心がけています。これも、日頃の思い方の訓練です。地道に実行してゆくことにより、「常不軽菩薩」のようには一辺になれなくとも、少しずつできるようになります。

理想は理想、現実は現実、何事も無理をせず、と言ったところでしょうか。

拝めなくていいのです

「常不軽菩薩」の行為を是とし、そのように心がけてゆくことは大切ですが、無理をすることは禁物です。過去世の因縁により、相手を神として拝めないことは当然出てきます。業が深ければ深いほど、自分が神であり、相手も神であることを理解できません。

何事も無理をしないことです。

相手を拝む行為は、とてもレベルが高い教えです。

まずは、相手を拝む前に、自分を拝むことが先決です。自分が神であることを悟れば、自然に相手も神であることがわかり、相手を拝めるようになってきます。

「神様、ごめんなさい!相手を悪く思う自分をお赦しください。愛深き私でありますように」と、消えてゆく姿にして、相手の天命の全うを祈ることです。

 やはり、行き着くところは「消えてゆく姿で世界平和の祈り」になります。


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