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第4章 「消えてゆく姿」の教え 3 般若心経「色即是空 空即是色」 般若心経の世界 五井先生のご著書に「空即是色」があります。その中には、深淵な悟りについて説かれた「般若心経」の世界を、五井先生の霊覚を通してやさしく解説していただいています。 般若心経は、わずか二百六十六字に、観世菩薩が深い最高の統一に入って得た正しい悟り、宇宙観が説かれていると聞きます。それは、お釈迦様が正覚を得られた心境であり、五井先生のように真に悟りを得た人でない限り、般若心経の正しい解釈はできるものではありません。 悟っていない人間が肉体の頭で、これを解釈すれば、トンチンカンなものになってしまいます。この経文は頭で解釈しようとするのではなく、自らが統一し、その響きを直感で感じ取り心で悟ることです。私が経文の原文を読んで直感で感じることは、「空」の一文字の響きに尽きます。この宇宙の根源は「空」であり、すべては「空」の中から生まれるということ。「空」とは、何もないのではなく、「無」でも「虚無」でもない。「空」とは生命の根源、エネルギーそのもの、すべてのすべて、「空」こそ、実在であり、この世は仮の姿にすぎないということです。 「この諸法は、空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず」すなわち「空」とは「絶対」であり、この世の相対の世界を超えたところにあるということです。 色即是空 空即是色 色の違い 「般若心経」の一文に「色即是空 空即是色」があります。これは表面的に解釈すると「あるものはなく、ないものはあるのだ」という理解できない解釈になってしまいます。 五井先生は、「色即是空 空即是色」の最初の「色」と最後の「色」は意味が違うことを述べられています。これは非常に重要なことで、宇宙の真の姿が如実に語られています。 「色」とは物質のことを言い、物質はどこから生まれて来たかを考えると、最終的には宇宙の始まりに辿りつきます。すなわち、宇宙の始まりは、何もないところから生まれたことになり、それが「空」であることになります。しかし、その「空」がまったく「何もない」のであれば、何も生まれることはありません。この宇宙が生み出されたということは、そこに生み出した何かがあるということになります。それが「空」の実態であり、万物を生成せしめた力、生命の根源が「空」であることになります。 そのように「空」とは「虚無」ではなく「万物生成の生命」であります。そのことを悟った時「空即是色」の「空」の中から、光明燦然たる「色」が現れます。最初の「色」はただ単なる物質であり、最後の「色」は、実在と一なる光輝く「色」に変わるということです。 我は宇宙なり 「我は宇宙なり」とは、五井先生と合気道の開祖、植芝盛平先生が最初にお会いになられた時に交されたご挨拶だと聞いています。 「色即是空」を極めると、「我は宇宙なり」という心境に辿り着くと言うことです。 「色」である自分をなくし自我を滅却すれば「空」になり、必然的に大生命である実在と一つになります。実在はすべてのすべてですから「我は宇宙なり」と言えるわけです。 私が若い頃、この話を聞き、理屈ではわかっても実感をともなうことはありませんでした。しかし、四十数年に渡り、五井先生の教えを学び、世界平和の祈りを祈り続けた結果、自我は薄まり、光輝く「色」を実感できるようになりました。自我が薄まれば、薄くなった分、意識は広がり「我は宇宙なり」と宣言できるようになります。私もやっとその一歩手前に辿り着いた感じです。 五井先生の教えは、本当にスゴイですね!私の如き者でも、素直に五井先生の教えを行じていれば、「般若心経」の極意を体現できるようになるということです。 ただ、ひたすら現れの世界を「消えてゆく姿」とし、神に感謝し、「世界平和の祈り」を祈り続けてきただけです。
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