第1章 生い立ち
― 山と川を友として ―
4 五井先生との出会い
共産主義思想にかぶれて
私の高校時代は、世の中の不条理に目がゆき、資本主義社会を終わらせ、皆が平等で平和に暮らせる共産主義社会をつくることを本気で考え「マルクス・レーニン主義」に傾倒しました。当時、学生運動の名残があり、その影響を受け、共産党の青年部組織に属し集会等に参加し、ビラを配ったり人を誘うオルグ活動を行ったりしていました。
「労働者を搾取するブルジョア―を倒せ!労働者の労働者による平等社会をつくるのだ」と「共産主義思想」を美化し単純に信じていました。物質的に豊かになり地上天国をつくることこそすべてであり、生命の尊厳など目に見えないものはマヤカシものだと断じていました。
今考えると、それはこれから始まるスピリチャルな活動の前哨戦として「共産主義思想」、「唯物思想」とは何かを、体験を通して学ばせていただいたのだと感じています。
そんな高校生時代はあっという間に終わりを告げ、高校卒業後は美術大学を目指して、広島市内の平和公園近くの「美大予備校」で二年間の浪人生活を送りました。アパートを借り、一人暮らしの生活をスタートさせました。寝る間を惜しんで、ひたすらデッサン(素描)をやり続けました。
ユリ・ゲラーから始まる宗教遍歴
そんな中その当時、ユリ・ゲラーのスプーン曲げがテレビで放映されました。私はそれを見た時、念の力でスプーンを曲げてしまうことは真実あると何の疑いもなく信じてしまいました。
それ以降、「どうやったら、そんな力を出せるようによるのか?」ひたすら、「超能力」に関するする本を買い求め、良いと思えることは何でもやりました。
ところが、やってもやってもスプーンは曲がらず、更に「超能力」への憧れはエスカレートしてゆきます。気がついた時には、あそこまで傾倒していた共産主義思想はどこかに吹っ飛び、まったく真逆の「唯心思想」になっていました。
超能力科学研究所(たぶんこのような名称だったと記憶しています)の橋本氏の著作から、「生長の家」を知り、「生命の実相」を全巻購入し、来る日も来る日も読み続けました。私は本当に能天気な単純な性格で、良きも悪しきもすぐ信じてしまいます。生命の実相の「実相論」を読み、「病気も不幸もないのだ」と本当に思い込み、あたかも悟ったような心境になったものです。
それと並行して、浪人時代、街頭で声をかけられ「統一教会」の錬成会にも参加しました。また、ある時はインドの宗教のビラをもらい、広島から、即、埼玉の本部まで出かけたこともありました。その当時、何でもかでもなびいてしまう私の行動に、守護霊様は本当に大変だったと思います。統一教会は、どこから聞いたのか美術研究所の所長に呼ばれコッピドク叱られ、それを境に縁が切れました。埼玉にあるインドの宗教団体はその本部の住所に来ているにも係らず、その建物を見つけることができませんでした。あきらめて八王子駅の構内を歩いていると、何と昨年お世話になった美術研究所の先輩にばったりでくわし、三・四日くらい泊めてもらうことができました。また大きな声では言えませんが、あの麻原彰晃の本もよく読み、そこに書かれてあったアーサナは毎日やっていました。そんなこんなで、ユリ・ゲラーが発端で始まった私の宗教遍歴は留まるところをしりませんでした。
五井先生との出会い
浪人時代、広島市内の本屋で、五井先生のご著書「霊性の開発」を見つけ購入したのが五井先生を知ったきっかけです。その時、背表紙の「霊性の開発」が「霊能の開発」と見えて勘違いして購入したものです。すべては守護霊様がなせる技です。
最初手にした五井先生のご本は、あまりピンときませんでしたが、「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉だけは心に残り、以後、四十数年に渡り祈り続けることになります。
世界人類が平和でありますように
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