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第2章 絵とは神と一体になる祈り ― 私の絵画論 (自然と共に自然を超えよ) ―
私は二年間浪人し、武蔵野美大学に入学し「油彩画」を専攻しました。大学では油彩画を学ぶ以外に選択の授業があり「日本画」を選びました。
当時、教授陣には、「麻田鷹司先」がいらっしゃり、直接ご指導をいただくことができました。麻田先生は京都を題材に、独特の金箔の下地を施し、その金箔の下地から発する色調は透明感があり深い味わいを醸し出していました。
その時、自分もこのような絵を描きたいと強く思い、これを機に、日本画を独学しました。
日本画は岩絵の具を顔料にして、それを膠(にかわ)で溶き紙などに定着させます。この膠を溶くことが大変手間がかかり扱いづらく、思考錯誤の結果、膠の代わりにアクリル絵の具のメジュウムを使うことを思いつきました。キャンパスの麻布の裏地に方解末の顔料を施し、その上にアクリル絵の具のゴールドを塗り、あたかも麻田先生の金箔の下地と同じようなものをつくることができました。
このアクリル絵の具と岩絵の具を混合させたオリジナルな技法を基にして、「吉祥富士」シリーズの連作が生まれます。 朝日に輝く富士山を描こう
当時、私は五井先生が発足された白光真宏会の会員で、富士聖地での特別行事には必ず参加していました。ある時、特別行事に出るために、朝早く自宅を出発するのではなく、前日に山梨県の三つ峠の近辺に行き車中泊して、朝早く起き三つ峠に登り、富士山を見てから富士聖地へ行ったことがありました。
その時見た朝日に照らされて光輝く富士山はあまりにも神々しく、思わずひれ伏して泣いてしました。それ以後、富士聖地での行事がある時は、いつも朝早く三つ峠に登ってから行事に参加するようになりました。
そして、そのことが機縁となり、富士山の見える近辺の山々に朝一番で登り、朝日に光輝く山から見た富士山を描くようになりしました。 朝、太陽が出る一時間から三十分前頃になると、西の空が薄紫色から絵も言えぬ虹色に変化してゆくその様は見た人以外には伝えることができません。そして太陽が富士山の頂上を指す時こそ、一日の始まりを告げ生命の力強い躍動を実感します。 美は神のみ心
消えてなくなるべき一瞬の富士の美を、永遠に光輝く存在に留め一人でも多くの人に伝えたいと富士山の絵を描くようになりました。
私が感動した美を多くの人と共有することが、絵を描く原点ということでしょうか。
五井先生は、神は「真・善・美」であり、美はその頂点にあるとおっしゃっていました。美を感じる心こそ感動であり、神と心が一つになった一瞬(とき)に違いありません。
これからも、「感動する心」を第一義にして、制作に取り組みたいと思います。 |
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